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大阪高等裁判所 昭和60年(う)575号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人河村武信、同斉藤真行連名作成の控訴趣意書記載(但し、主任弁護人において、控訴趣意中、理由不備、法令の解釈適用の誤りの主張は、事実誤認の主張を理由あらしめる事由として述べるものであると釈明した)のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、被告人は本件交差点を左折する際、左後方車両の確認など左折車としての注意義務を十分果たしているのに、原判決が、被害者運転の原動機付自転車の速度、進行経路、そして被告人運転の大型貨物自動車の発進時及び左折開始時の各時点における被害車両の位置、ひいては被告人にそれら各時点における被害車両発見の可能性の有無などを明らかにしないまま、被告人には「左斜前方道路にのみ注意を奪われ自車左側を後方から進行して来る車両の有無を十分確かめないまま発進左折した」過失があると認定し、被告人を有罪としたのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実を誤認したものであり破棄を免れない、というのである。

そこで、論旨に対する検討に先立ち、職権をもつて原審記録を調査し、当審事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判決には以下のとおり訴訟手続の法令違反(刑事訴訟法三七九条)があり、ひいては事実を誤認した疑いがあるといわなければならない。

即ち、本件公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五八年五月二〇日午後四時四〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、豊中市上野坂二丁目一番一号先の交通整理の行われている交差点手前の道路中央線寄りに北から進行し、同交差点に設置された信号機が表示する赤色信号に従い先行車に続いて停止後、同信号が青色信号に変わつたのを認めて発進進行して、同交差点を東に向つて左折するにあたり、自車左側と同道路左側端とは約二・四メートルの間隔があつたから左折にあたつては自車左側を後方から進行して来る車両があることを予測して特に自車左側を後方から進行して来る車両の有無を確かめ、その安全を確認して左折進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、左方道路にのみ注意を奪われ自車左側を後方から進行して来る車両の有無を確かめないまま発進して時速約二〇キロメートルで左折した過失により、おりから自車左側を北から進行して来た山本雅子(当時二〇歳)運転の原動機付自転車に自車左前角部を衝突させて転倒させたうえ、同人の左肩部等を自車右前後輪で轢過する等して同人に右五〜九肋骨々折等の傷害を負わせ、同人を同日午後五時三六分ころ、吹田市津雲台一丁目一番D―五大阪府立千里救命救急センターにおいて、右傷害に基づく外傷性ショックにより死亡するに至らしめたものである。」というのであるが、これについて弁護人から「山本雅子運転の原動機付自転車の速度及び進行方向如何。」との釈明を求めたのに対し、検察官は「速度は不明である。当該交差点を北から南へ直進しようとしていたものと思料される。」と釈明し、そして被告人は、原審第一回公判期日における被告事件に対する陳述として、「自車の左後方から進行して来る車両が存在しないことを確認したうえで発進進行し左折しているから、本件事故は低速で左折中の自車に、被害車両が猛スピードで突つ込んできたために起こつたのではないかと思う。」と述べている。従つて、原審検察官としては、本件事案の特殊性にかんがみ、本件事故発生に至るまでの右山本雅子の行動、殊に同女運転車両の進路、速度を種々想定し、少なくとも、被告人が左折を開始する時点においては、同女を現認し危険防止の措置をとり得たはずであることを明らかにすべきであつたと思われるのに、これが行われていないばかりか、原裁判所が、同検察官に対し、この点の釈明を求めて、争点を明らかにする措置に出た形跡も記録上認められない。そして、原裁判所は、そのまま審理をすすめ、結局、右の点を十分解明しないまま、罪となるべき事実として、被告人が左折を開始する時点においては被害者山本雅子運転の原動機付自転車はその後方を進行していたことを前提とする、起訴状記載の公訴事実とほぼ同一の事実を認定して、被告人を有罪としている。

しかし記録並びに当審事実取調の結果によると、次の事実が認められ、原判決認定事実をそのまま是認することは極めて疑問と考えられる。

1 被告人は、大型貨物自動車(ミキサー車、以下加害車両と略称する)を運転し、原判示交差点を北から南進して左折しようとしたが、同交差点の手前で信号待ちのため、車道東側に数台駐車中の自動車の先頭車と車体後部を重複させるような形で(同車との横の間隔は約八〇センチメートル)、先行の普通乗用自動車一台の後ろに停車したこと(その場所は、司法警察員作成昭和五八年五月二〇日付実況見分調書添付の(三)現場見取図②地点)

2 その後、前方の信号が青に変わり、先行車が左折して行つたので、被告人も加害車両を発進させ、やや左寄りに約一五・八メートル進行し、前示見取図④地点付近でハンドルを左に切り左折を開始したが、その際の同車両の速度は時速二〇キロメートル近くであつたこと

3 そして約二・六メートル左折進行した同図⑤地点で、自車左前部付近に被害者運転の原動機付自転車(以下被害車両と略称する)を接触させ、更に約七メートル進行した⑥地点で自車車体下部に金属性擦過音を聞いたため急いでブレーキをかけ、約七・二メートル進んだ⑦地点で停車したこと

4 本件事故直前の被害車両の詳細な行動は必ずしも明らかではないが、本件交差点南北道路の車道左(東)端から約一・三メートル中央寄りを南進し、同交差点を直進通過しようとしていたものと推定されること(前示見取図の衝突地点の位置、原審公判調書中の証人木野貴文の供述部分など参照。なお弁護人は、被害車両は加害車両の進路直前を直角に近い角度をもつて横切るように進行しようとしていた旨主張するが、被害者は同交差点南方の勤務先へ帰院する途中であつたこと、及び両車の衝突痕は次記のように同時一回の衝突によつて生じたものではなく、第一次、第二次と二回の衝突により生起されたものであつて、その接触部位を互に接触させて得られる両車の進行角度は必ずしも第一次衝突時の両車の進路、進行角度を推認させるものではない。)

5 両車の衝突地点は前示見取図地点(加害車両⑤地点)で、その態様は、まず加害車両の左前輪前方付近のクーラー用ラジエーターに接続する六角ナット前部分が、被害車両の後部荷台後面部右角からやや左寄りの箇所に衝突(第一次衝突)し、次いで被害車両がバランスを崩してやや左に傾き右荷台が上がつた状態で、更に同荷台右側部に加害車両の前部バンパー下辺部(同車左前輪の前方付近)が衝突(第二次衝突)をし、その後加害車両が被害車両を左側へ押し倒していくような形で、同車を転倒させ、加害車両の右前輪が被害車両及び被害者を轢過していること(右後輪は原判示のように轢過はしていない。)

6 そして、右のような両車両の衝突状況及び道路東側駐車車両と衝突地点間が近々二〇メートル余りであるうえ、被害車両が衝突時前方に逸走することなく加害車両下にまき込まれるような形になつていることなどに徴すると、加害車両が被害車両に右後側方から追突したもので、被害車両は衝突時には速度はさして出していなかつたものと考えられること(当審証人徳弘勲の供述参照)

以上の事実が認められ、これによれば、被害車両の進行速度は、せいぜい時速二〇キロメートル乃至はそれ以下程度であり、加害車両が前示④地点付近で左折を開始しようとした時点においては、被害車両は加害車両の真横を並進するか、そのやや左前方付近に位置していた蓋然性が高いと考えられ、そうすると、本件事故は、被告人が原判示のように左折に際し左後方からの車両の確認を怠つたためではなく、進路左側乃至左前方の安全確認義務を怠つたために生じたものではないかとの疑いが強いものといわなければならない(なお、前示のように本件衝突の状態などから被害車両の速度を時速二〇キロメートル乃至はそれ以下であつたと推定することが困難であるとしても、その過失認定のためには、少なくとも加害車両左折開始時(前示④地点付近)における被害車両の位置を、同車両の速度等を種々の観点から想定したうえ「衝突地点」から逆算して特定し、被告人が当該左折開始時にこれを発見し得たか否かを、加害車両運転席からの死角との関連をも含めて十分検討し判断する必要がある。)(中村裕史作成の鑑定書は、被告人運転の加害車両の速度及び被害車両の進行経路についての設定に独自のものがあり、前示加害車両左折開始時の被害車両の位置やその視認可能性についての言及もない点から参考とするに足りない。)。

してみると、被害車両の進行速度及び加害車両左折開始時の被害車両の位置について言及せず、その進路についても単に「自車左側を北から進行して来た」とのみ漠然と判示して、これらを十分検討しないままに、「被告人には、自車左側を後方から進行して来る車両の有無を十分確かめないまま発進して、漫然(自車左側を後方から進行して来る車両の有無を自車ミラー等で注視し、その安全を十分確認しないで)時速約二〇キロメートルで左折を開始した過失」があると認定した原判決は、結局その点の審理を尽くさないという訴訟手続法令の違反があり、ひいて事実を誤認した疑いがあるものといわなければならず、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、所論に対する判断をまつまでもなく、破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条によつて原判決を破棄し、右の点に訴因変更の要否の点をも含め、さらに審理を尽くさせるため、同法四〇〇条本文により本件を原裁判所である大阪地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官梨岡輝彦 裁判官白川清吉)

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